文化をむすぶ
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Culture and history
稲作と日本人
日本に稲が渡ってきたのは紀元前600年頃の縄文時代後期がはじまりといわれています。次第に稲作は風土気候に順応しながら、人々の智慧により水田技術が発達し普及してきました。
日本の文化は独自の自然観・神観念により「米」を神格化してきた稲の歴史でもあります。 食は命の根源。そのなかで米にその栄養価の素晴らしさを見いだし特別なものとして位置づけ、稲作を伝承し繁栄させてきました。
日本の祭事には稲作にまつわるものが多く残されてます。そこには稲作の無事を祈り、収穫を感謝し、労働をねぎらい、そして自然へと宿る神々に感謝する。
祭りは人間と自然とをむすび、喜び祝うハレの場として受け継がれています。
ー 稲穂に魂がこもるという考え方は東南アジアや中国南部の少数民族にも認められるところで
あって、日本だけに限ったことではない。しかし稲魂をウカノミタマと呼んで日本国家の最
高神に祀っているのは日本だけである ー
民族学者 谷川 健一氏 著『米』より ⟪ 日本を知る105章 ⟫ 平凡社
おむすびのルーツ
弥生時代に現在のおむすびの原型ともいえる「チマキ状炭化米塊」という最古の化石が発見されています。* 石川県杉谷チャノバタケ遺跡より発掘
このチマキは今と同じように笹の葉に米を包み、蒸したり茹でたりして食べていました。この笹の葉に包むことによる殺菌の効用、蒸したものを乾燥させ保存させる智慧は、当時すでに携帯食としての機能を持ったものといえます。
現在のおむすびに最も近いものは、
平安・鎌倉時代の「屯食 ( とんじき ) 」ではないかと思われます。
当時白米がまだ都の貴族たちだけの主食であった時代、宮中の貴族たちが下人たちに振舞ったもので、たいそうなごちそうであったと想像されます。その頃のかたちは球状または卵形。「屯」ということばには「あつめる、たばねる」という意味と、「即席」という意味があり、手早く米粒をあつめて握られたものを称したのでしょう。
江戸時代になると庶民の花見や花火などの行楽のお弁当として、また旅の携帯食としてのかたちに次第に定着してきたようです。
そして現代では手軽に作り食べることのできる意味で、ファストフードとして親しまれています。
おむすびの語源
日本人は自然界の全ての生命に神が宿るとし、自然との関わりを大切にしてきました。「おむすび」の語源は、日本の歴史書「古事記」や「日本書紀」にも書かれている天地創造時に現れた3神のひとつ「「カムムスヒ(神産巣日神之命 ) 」ではないかと思われます。この神話によるとカムムスヒは、天地万物を産む産霊 (むすび) の神様です。
おむすびは手で作り、手で食べるという食の根源的なかたちです。その神様の名をシンプルなこの食べ物に込めることで、 自然と人、人と人、人とモノとをむすんできた「いのちのリレーション」そのものを表しているかのようです。
また戦国時代には戦の勝利を願いう縁起かつぎとして「にぎり飯」と称されていたようです。そこには食べる人のことを思いつくる気持ちが込められています。そのエッセンスが「おにぎり」の呼び名として親しまれているのでしょう。
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